少し哲学的な話です。特に死生観は宗教に影響を受け易いですが、私に宗教的アイデンティティはありません。人生観や死生観は現在をより良く生きるための哲学です。その上で以下の人生観・死生観を持っています。
人生観;全ての事象は予定されたもの
私の人生観は「全ての事象は予定されたもの」であり、死生観は「最期は土に還る」です。
人生観から話しましょう。キリスト教の予定説と似て非なる考えです。この話をすると「全て予定されているなら何かを頑張る意味は無いのか」と指摘を受けますが、この認識には誤解があります。
「事象」は私の「意志」を除いた出来事を指します。他者の行動や自然現象は予定されたものですが、私の意志や行動は私がその時決める、予定とは独立したものです。
この人生観は非科学的(超科学的)ですが、生きるにおいて有効な考えだと思います。
例えば、無駄な事にリソースを割かなくなります。試験勉強をしていると仮定すると、「勉強すること」「最高のパフォーマンスで試験に挑むこと」以外は予定されたことであるため、悩む必要がなくなります。
また例えば、生への高いモチベーションになります。仮に現在守る家族が私に居なくとも、いずれ彼らが現れることは予定されています。いつか巡り合う彼らの為に必死に生きるというのは良いことです。
予定されているからこそ無駄な抗いを辞めて素直に努力する。これが本質です。
死生観;最期は自然に還る
「死後の世界」や「来世」という考えは少し奢った考えだと感じ納得できません。ミミズもオケラも私も、死ねば土になります。私に意識はなくなります。意識は無くなりますが、質量保存のため消えてなくなる訳ではありません。自然の一部になります。
最期は土になるのだから、過去を振り返る必要はありませんし、まして後悔する必要もありません。どんな誇り高き完璧な人間でも、最後は等しく土になるのです。またいずれ土に還るのだから、挑戦を恐れる必要もありません。
我々は時に必要以上に保守的になります。この保守性は自分の財産(過去の功績)やレール(未来の保証)を保持するために生まれるものです。しかしどれだけ保守的に生きてみても最期は土となり財産もレールも意味を失います。
自分の持ち物ゆえに恐れるな。これが本質です。



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