「勤勉」「努力」「ストイック」。一般的には褒め言葉とされるが、著者はこれらの言葉が余り好きではない。これら3つの言葉を追って行った先には楽しさが無いからだ。
コツコツ一歩ずつ前に進む姿勢をバカにしたい訳ではない。だが、周りを見ていると楽しくないこと・ワクワクしないことに心血を注いでいる方も少なからずいると感じるのだ。楽しくないことに時間を使い続けても楽しくない状態は変わらない。変わると思っているのなら、それは”希望的観測”というものだ。
著者は、プライベート同様に仕事は楽しくあるべきだと思っている。楽しくないのなら、その時間は死より価値がないとすら思っている。楽しいと思える環境では自覚のない「努力」ができる。楽しい環境なのだから、この「努力」を積み重ねて行った先にはより楽しい環境が待っている。また、睡眠を除けば1日の半分を占める仕事時間が楽しければ、自ずから人生は充実するはずだ。
”楽しい”の定義は難しいが、読者の皆さんは人生経験の中でこれを知っているはずだ。サボって遊んでいても楽しくはない。自己効力感と達成感が得られないからだ。仲間から必要とされ、結果を残せてこそ仕事は楽しくなる。
#2と続く#3では「仕事をどう楽しくするか」について書いていく。笑っていただいて構わない。仕事への向き合い方は人それぞれであり、著者の仕事への向き合い方が万人にとって正解だとは限らないのだから。ただ、1つの仕事観として誰か読者1人の参考になれば幸いだ。
安易に努力しない。
努力は君を救ってくれるか?
答えはNOだ。
ただただ努力するのは楽である。何も考えなくて良いからだ。
これは一種、信仰に似ている。「努力が自分を幸せにしてくれる」「努力していればきっと明るい未来がある」と信じ続けているのだろう。著者はこれを”努力教”と呼んでいる。この国の勤勉教育の弊害である。断言できるが、努力があなたを幸せにしてくれる保証など、どこにもない。仮に世間一般で言われる成功を掴んだとしても、だ。著名人や大企業社員の自殺報道はこれを雄弁に物語っている。
また、努力教を信仰している人は概して他者と自分とを比較する。”努力量”などという他者との比較でしか測れない指標に固執しているのだから当然だ。そして自分より体力があり「努力できる」ライバルを見つけて精神を病んでいく。人生が楽しくなくなるのは必然の流れだろう。
努力は一般に積み木のようなイメージで表現される。努力を「積み重ねる」という言葉がこれを示している。そんな努力をあと何十年も続けるのは余りにもしんどい。努力は坂道を転がる雪だるまのようなものだ、と著者は認識している。決して積み木ではない。要は、放っておいても自然に大きくなっていくべきものなのだ。
ではどうすればよいか?
より楽しい環境に自分を置くことを考え続けるべきだ。楽しい環境とは、努力を努力とは思えない、自然と打ち込んでしまう環境のことだ。
「それが難しいんじゃないか」と思うだろうか?その通り、本当に難しい。だが、この思考を働かせ続けない限り、あなたが今より幸せな状態に定常的になることは有り得ない。「思考を働かせ続ける」と書いたが、文字通りこの模索が終わることはない。常に”今より楽しい環境”を探し続けるのだ。
常に楽しい環境を模索し続けることに疲れる人もいる。しかし、我々は潜在的にこの能力を持っているはずだ。思い出して欲しい。子供のとき、私たちはクリエイティブに遊びや遊び道具を発見・発明し続けてきたはずだ。努力を美徳かつ単一の幸福近似指数とする学校教育でこの能力は大きく退化したが、貴方の中に未だ眠っているのだ。
具体的に何をするか?
第一段階として、仕事をしていて「楽しいこと・得意なこと」と「辛いこと・苦手なこと」を書き出していく。
一度に書き出す必要はないので、ノートやExcelファイルだけ作っておいて、感じたときに書いていく。ここに溜まった「楽しいこと・得意なこと」が多くのタスク量・時間を占める仕事が楽しい仕事であり、逆もまた然りだ。現在の会社のなかでそのポジション取りができるなら自分の行動を変えていく。もし社内で達成不可能なら転職を考える。すぐに会社を辞められないなら、それでも構わない。しかし”楽しい環境に移るための準備期間”と考えれば、今よりずっと前向きかつアグレッシブに仕事に向き合えるはずだ。
第二段階として、選んだ環境で成長していった姿が理想と一致しているかを確認する。
転職先を絞ったとして、その会社で10年働いた姿が自分のなりたい姿と一致しているか考える。一致していなければ、その環境での「努力」は貴方を幸せにしてくれない可能性が高い。転職が普通になってきた時代とは言え、その環境で1年でも働けば10年働いた姿に向かっていくことには変わらない。
最後に、新しい環境に飛び込む。
これが一番難しいかも知れない。人生のレールを外れるような感覚があるだろう。この「人生のレールを外れる感覚」は、言い換えれば「これまでの努力が無駄になる感覚」だと言える。努力が自分を幸せにしてくれる保証はない、と心から思い直せたとき、本当の意味で努力の螺旋階段から解放されるのだと思う。
”努力逃げ”の癖は仕事内容にも悪影響を及ぼす。
第一に、あなた自身の仕事の生産性が上がらない。
何か課題に直面したときに「努力量で何とかしよう」で解決していては、読者の時間対生産性はスケールしない。何とか工夫できないか、何か他に面白い方法がないかと考えることで生産性は向上していく。既存の手法をマスターすることは無論重要だが、目的を正確に捉えて逆算する思考は常に持っておくべきだ。
第二に、チームとしての生産性が低くなる。
個人単位のタスクであれば努力量で何とかなるかも知れない。しかしチームとなるとそうは行かない。チームとして使える時間は決まっており、失敗できる試行回数も決まっている。”努力教”に染まったリーダーほど、チーム作業が上手くいかないことをメンバーの能力不足にする。違う。それはあなたの目的設定が曖昧で、逆算能力が乏しいからである。
まず「環境ありき」。
社会では自責思考が蔓延し、楽しくない・成長できないことは各個人の能力不足だとされる。
著者はこの考えに反対だ。楽しめるか否かの大部分を決めているのは環境だ。周囲に仕事を楽しむ仲間がいたり楽しめる仕掛けのある会社では、仕事が楽しくなる可能性は高い。一方で仕事を楽しむマインドから否定してくるような環境では、仕事が楽しくなりようがない。極端な話、最近話題のビッグモーターのような環境で仕事を楽しむには、自分に虚像を見せる他ない。レベル感は違えど、同じ様な「環境要因」があらゆる会社組織では蔓延している。
「選んだ道を正解にする」という言葉がある。半分賛成、半分反対だ。もし現環境が楽しむ土壌さえないのなら、あなたの貴重な時間を使ってその環境に居続ける必要はない。可能なら環境を選び直すべきだ。
最後に
繰り返すが、目的達成に向かい必死に行動する人間を著者は非常に尊敬している。尊敬しているからこそ、その行動は楽しい未来に続いているものであって欲しい。そして著者自身もそうでありたい。
あなたの人生の責任を、誰も取ってくれない。この方法と違くとも、真に楽しい人生を送られることを願う。


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