充実感は事象にない。常に自分にある。
先日、北海道函館市にあるトラピスチヌ修道院に行ってきました。厳律シトー会の女性修道院として有名ですが、荘厳な雰囲気が雪に映え非常に綺麗でした。
修道院見学中に、以下のようなポスターが貼ってあるのが目に留まりました。

言ってしまえば、3時半に起きて、読書や掃除、家事、畑仕事を行い、祈って19時には寝るという生活です。一見、退屈で充実感のない生活のように思えます。しかし彼女らはこの生活を自ら選び、充実感を持って暮らしているのです。
この事実には大きな示唆があります。我々が日々追い求めている「充実感」は、刺激的な外部環境が与えてくれるものでは決してないのです。彼女らに役目があり、友人がいて、日々神さまに近づいているという実感があるのでしょう。
私に神はいません。ですが、彼女らから学ぶことは多いです。自分に充実感を与えてくれる環境を探すのではなく、生活のなかに充実感を見出すのです。自分の目標や役目を明確にし努力する。童話「幸せの青い鳥」の教訓と近いものがあります。
このブログでは他にも充実論について記載した記事があります。よければそちらもご覧ください。




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