「生への執着が無くなる事が人生の目的」説
人生の目的は何でしょうか?
「人間は遺伝子を運ぶ船」と言う意見は尤もですが、それはおおよそ的確な答えではありません。私たちは事実ではなく納得感を求めているのです。
人生の目的を考える際にヒントになる体験をしたので、これを共有しておきます。あるいは私の備忘録かも知れませんが。
先日、夢を見ました。私は良い夢は忘れてしまうのですが、とんでもない悪夢は一定期間覚えています。先日の夢はその1つです。
夢の中で、私は死刑執行の場にいました。私は罰を受ける側です。水の中に顔をつけて処すという方法でした。視点は3人称ですが、私の右隣にいる男が執行官に顔を押さえられて刑が執行されました。私は最後の息を吐き出す男を見ながら「死ぬのは嫌だな」と思いました。身体は動きませんでしたが、本当に嫌でした。
そこで目が覚めた訳ですが、私がここまで生に思い入れがあるのは発見でした(普段こんなことは考えもしないから)。同時に「これはマズいな」と思いました。老衰にせよ病気にせよ私は死ぬ運命にあるので、いつかこの嫌な気分をリアルで追体験することとなるのでしょう。私は人生でやりたいことが明確にあるわけではありません。でも死ぬのはとても嫌です。穏やかに死を受け入れることは非常に難しく感じます。仏教的に言えばこれが「執着(しゅうじゃく)」であり、生きる苦しみとされているのでしょう。
生きることは楽しく全面的にポジティブであるもの、というのが私の考えです。ですが死は嫌だ。これはバットエンドの決まったお芝居です。受け入れ難い死までをどうポジティブに変えていくか。これは大きな命題になりそうです。


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